中川運河の整備目的

▼中川運河の南端にある中川口閘門(中川通船門)(2015年12月撮影)

名古屋港から名古屋駅近辺(笹島地区)まで、昭和5年に中川運河が整備されました。中川運河はその立地からしばしば名古屋港と旧笹島貨物駅を結ぶ物流の動脈と紹介されますが、これはやや不思議な説明です。
なぜなら、既に明治42年に名古屋駅と旧名古屋港駅を結ぶ臨海鉄道(名古屋港線)が整備されていました。したがって、名古屋港で揚卸する貨物を後背地まで鉄道で輸送するために新たに運河を整備する必要はありません。
中川運河の目的は以下の2つと考えられます。第1は、堀川・新堀川のバイパス整備です。中川運河供用以前、名古屋港と名古屋市内を結ぶ輸送手段として堀川・新堀川がありましたが、いずれも幅員が狭小で係留船や係留木材も多く高速運航が不可能でした。また汐待により24時間運用も不可能で、結局輸送インフラとしては不十分であったといえます。名古屋港の貨物取扱高の増加に伴い、上記のような制約の多い堀川・新堀川の輸送力が限界に達したため、新たにバイパス整備の必要が生じました。ここで、堀川・新堀川の合流する内田橋付近より上流で堀川より分岐し名古屋港までダイレクトに結ぶ中川運河を整備すれば、堀川の輸送需要を中川運河に転移させ、これにより新堀川の輸送力にも余裕を持たせることができます。さらに中川運河は幅員63mと広く高速運航が可能で、また2か所の閘門(松重閘門および中川口閘門)により常に水位が一定に保たれているため24時間運用も可能です。実際、2か所の閘門の通過時間を含めても、所要時間は堀川経由の1/3から2/3に短縮されました。
中川運河整備の第2の目的は、物流インフラとしての運河自体の機能に加えて、両岸に臨海工業地帯を整備することでした。名古屋港の貨物取扱量の増加に伴い、倉庫等の物流施設用地や工業用地が必要になりました。現在であれば海上を埋め立てて用地を造成するところですが、昭和初期には、湿地帯で土地の有効利用がなされていなかった現在の中川運河沿線地域を、運河を掘削した土砂により両岸の土地をかさ上げし、物流・工業用地として整備することが優先されました。運河の幅員63mに対して両岸の沿岸用地は73mと運河自体より広くとられています。また整備予算も運河自体の掘削費484千円に対して、両岸の土地購入費は1,179千円で、このことから、中川運河整備の目的は物流インフラ整備よりもむしろ臨海工業用地整備にあったといえるでしょう。
なお、笹島貨物駅までの北支線が整備されたのは、名古屋市内背後地と堀川〜松重閘門経由で笹島貨物駅を連絡するためと、中川運河両岸の物流施設・工場と笹島貨物駅の連絡のためと推測されます。(2017年3月)

トップページ

研究分野

研究業績

フィールドワーク

山本雄吾ゼミナール

コラム

 

Contact

〒468-8502

名古屋市天白区塩釜口1-501

名城大学経済学部産業社会学科

山本雄吾研究室

 

Yugo Yamamoto’s Office

Faculty of Economics,

Meijo University

1-501, Shiogamaguchi, Tempaku,

Nagoya 468-8502, JAPAN 名城大学経済学部