オットー・ワグナーとウィーン市営鉄道

▼オットー・ワグナー設計の地下鉄U6号線Währinger Straße-Volksoper駅舎(2014年9月撮影)

ウィーン市営鉄道Wiener Stadtbahnは、ウィーン市中心部の外周を巡る郊外鉄道で、1898年から1901年にかけて38.8kmが整備されました。路線はほとんど高架または掘割で、道路交通とは立体交差となっています。その後、1970年代からの地下鉄整備に伴い、市営鉄道の主要区間も改良の上地下鉄システムに編入されました。現在の地下鉄U4号線の全線およびU6号線の中心部Längenfeldgasse~Nußdorferstraßeが旧市営鉄道区間です。
ウィーン市営鉄道の駅舎・橋梁等建造物の設計は、オットー・ワグナーOtto Wagner(1841-1918)が行いました。オットー・ワグナーは世紀末ウィーンを代表する建築家で、駅舎や橋梁・欄干等まで、独自のユーゲント・シュティール様式の装飾が施され、高い芸術性を備えており、歴史的価値を有しています。とりわけ、Wäringerstraße駅など高架駅の駅舎とプラットホームを一体として1つの建造物に見せるデザインは、わが国では例をみないものです。
ウィーン市営鉄道の駅舎・橋梁等建造物は、地下鉄システムへの編入後もそのほとんどがオリジナルのデザインのまま当初の用途に継続して使用されています。わが国などの多くの大都市で、1世紀前の駅舎等鉄道施設がオリジナルのまま使用されている事例は、東京駅丸の内駅舎などごく一部を例外として見られないことを考えれば、これは稀有な事象といえましょう。
わが国など多くの大都市では、この1世紀の人口増加とそれに伴う輸送量の増加により、駅舎など鉄道施設は、ほとんどの場合拡張・建替えの必要に迫られました。このため、駅舎等施設が歴史的価値を有していても、その一部をモニュメントとして保存するにとどまり、当初の用途で継続使用することは困難です。
これに対してウィーンは、ハプスブルク帝国の首都であった1910年には208万人の人口を擁していましたが、第一次世界大戦を経て中欧の小国の首都となった現在の人口は174万人にとどまっています。この結果、鉄道輸送量も増加せず駅舎等施設の拡張・建替えの必要は生じませんでした。このことが、歴史的価値を有する駅舎・高架橋等建造物が、現在に至るまでオリジナルのデザインのまま当初の用途に継続して使用できたことの背景にあると考えられます。
ウィーンには、市営鉄道の駅舎の他にも多くの歴史的建造物が保存・活用されていますが、やや穿った見方をすれば、これを彼らの歴史的景観に対する意識の高さだけで理解すべきではないと思います。(2014年5月)

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